"言ったのに!"は言ってないとほぼ同じと思った方がいい

 

 

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「前言ったのに何で出来ていないの?」という不満

よくありますよね。

配偶者に対して、子ども、部下・・・など

対象は様々であれど

同じような不満を持ちませんか?

でも、"言った"は"言っていない"とほとんど同じだと思う

という話。

 

この不満を頻繁に持つようになったのは

夫と結婚したばかりの頃。

 

何度言っても夫が家の中のものをあちこちにほったらかす

例えば

テレビのリモコン

爪切り

ハサミ・・・

 

元の場所に戻してと何度言っても

戻さない・・・戻せない・・・?

そんなことある?とイライラ。

 

毎日同じことにイライラしている自分にも嫌気がさします。

私は夫の母親じゃないのになぜこんな基本的なコトを

指摘しなくちゃいけないの・・・?

 

同じようなことは仕事でも。

やってほしくないこと、やってほしいこと

何度も日々同じようなことを言っているのに、

なぜか全然守ってもらえない。ということが。

 

日々仕事でイライラ、家でもイライラ。

イライラの根っこは全て同じ。

「何度も言っているのになぜ守れない!?」ということ。

 

 

私自身が言われる側としてこんな経験が。

「数日後イレギュラーな対応が発生するから覚えといて」と言われたにも関わらず、

すっかり忘れていた、なんてことが。

「前言っ たとじゃん!」と言われれば

「ごめんなさい」と謝ることしかできない・・・。

自分に非があることは明確です。

 

先に挙げた夫や仕事での例でも同様だと考えていますが、

忘れた方に非はあると思っています。

 

でも"言う"ことだけで済ませようとした方に非が無いのか?

というと私はこちらにもあると思っています。

 

なぜなら人間は忘れる生き物だから。

ミスをする生き物だから。

 

それを大前提として考えられていなかったかもしれません。

"言う"という指示で留まらせると、

相手が常にメモを取って記憶してくれて

確実に実行しようと真摯に受け止められる人なら

それでコトが上手く運ぶかもしれません。

でも常にその状況を担保できる人ばかりかというと

決してそうではないし、

そもそもメモを取るモチベーションが無い場合もある。

忙しい傍らで指示を受けているかもしれない。

相手の状況は様々です。

 

だから「ちゃんと言ったからもう大丈夫」と安心するのは

かなり危ない橋を渡っているのと同じように思うんです。

 

”言う"という指示で留めると

それは"覚えといて"と言っているのと同じ。

つまり相手のメモリを強制的に占有しているのと同じ。

だと思っています。

 

他にも日々いろんなことに脳内メモリを使っている私たちにとって、

覚えといてと言ったタスクは膨大な脳内メモリのたった1つに過ぎない

そして日々チリツモでたまった様々なメモたちがオーバーフローして

漏れが発生してしまうのではないか。

と考えています。

 

「口約束で貸したお金は返ってこないと思え!」と同じなんです。

この場合は覚えていてもわざと無かったことにするというパターンが

あり得るんですけど・・・。笑

だからこういう場合、本当にお金を返してほしいなら

文書として残すというのが一般的な対処方法ですよね。

 

それと同じで、

やっぱりアラートをセットするとか

スケジュールに入れるとか

紙に書いて貼りだすとか

対処方法は事象に応じて様々だと思いますが、

何かしら外部から強制的に望む方向へ向かわせる仕組みを取り入れる

という対処が必要なんだと思います。言った側にも。

出来ないなら指示を受けた側に代わりにやってもらえないか交渉する。

なんでもいいから強制的に向いてほしい方向へ向かせる工夫を仕込むことが

やっぱり必要なのだと思います。

本当に言ったことを守ってほしいなら。

守ってほしいと思っているのは言った側なのだから。

 

例えば

夫が元の場所にモノを戻せないということについては

どの場所なら/どんな方法ならしまえるのか

とことんハードルを下げるために一緒に考えるとか。

(我が家はとことんこれをやりました!今も適宜見直ししています)

 

 

結論として

「前言ったのに!」は

結局言ってないのとほぼ同じなのではないでしょうか。

そういう不満が生まれたら

やり方・仕組みが良くないので見直してみると

良さそうだという気づきでした。

 

 

 

親と子の見える世界の違い きれいなどんぐりを拾いなさい

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大人が思う"良い"ことは

子どもにとって良いとは限らないという話です。

 

 

以前こんなTweetをしました。

 

このTweetは大人同士を想定していたものですが

子どもと大人の間でも同じだと感じる出来事がありました。

 

先日公園に行った際に

お父さんとそのお子さんがどんぐりを拾っていました。

そしてお父さんがお子さんに行った一言がとても印象的でした。

 

「きれいなどんぐりを拾いなさい。そのどんぐり、割れてて汚いよ」

 

一瞬そばを通り過ぎたときに聞こえた言葉なので

背景は分かりません。

お子さんがどんな反応をしたかもわかっていません。

 

でも、この声掛けは

大人はやりがちで、

私も日々気を付けようと思っていることで、

アンテナに立ったのだと思います。

 

 

きれいなどんぐりって何だろう。

果たしてきれいなどんぐりだけが価値があるのだろうか。

きれいなどんぐりに価値を感じているのは親だけなんじゃないか。

子どもも同じだろうか。

 

子どもにとって

割れているどんぐり=汚い

割れていないどんぐり=きれい

という見え方ではないかもしれない。

そもそも

割れているかどうかで区別していないかもしれない。

全て同じどんぐりだと思っているかもしれない。

 

他にも

大きさや色、重さなど

どんぐりの違いを見るための基準は色々ありますが、

子どもにとってどれが魅力的などんぐりかは分かりません。

もしかしたらどんぐりであれば全て魅力的かもしれないし、

大きいどんぐりが魅力的かもしれない。

魅力的などんぐりは子どもが選び取るものであって

大人が基準を与えるものではない。

 

どんぐりに限らず

いつもその視点を大切にしたいと考えています。

つい、「大人にとって良いもの=子どもにとって良いもの」と

決めつけて子どもに失敗させないように、遠回りさせないように

長い人生経験を持つ大人が先回りして誘導してしまいがちですが、

自分と自分以外の価値観が必ずしも合致するわけではない。

それは大人に限った話ではなく、

大人と子どもの間でも同じだと思います。

 

子どもに声掛けをする際には

価値観の決めつけ、押しつけになっていないか?

これを念頭にいつも置いておきたいと

改めて感じました。

 

 

 

 

 

省いちゃいけない"手間"

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最近

自分の未来のためにならない、不要なことに時間を使っていないか

考え直す機会がありました。

  

hibishikosakugo.hatenablog.jp

 

引き算にアンテナが立って、

だんだんノリに乗ってきた私は

あらゆる不要なことを排除して

自分のための時間を生み出すんだ・・・!

と意気込んでいました。

 

そして引き算の対象として手を出そうとした子どもとのとある時間。 

hibishikosakugo.hatenablog.jp

 

ふと自分に問いかけます。

これが私のしたいことだったんだっけ?

 

その答えはNO!

そして、見境なく引き算しようとしていた自分に気が付きました。

 

 

日々自分がやっている、自身の成長に直結するわけではない行動。

その中でやってもやらなくても問題ないような行動=省きたい手間はとても多くあります。

例えば、洗濯が終わった服を1枚ずつ干す手間。

その作業がストレス発散になる!といったことがなければ

機械に頼ってもいいはずの行動。

そういう手間は省くことで自分の時間が生み出せますよね。

 

 

ただ、最近私が

一瞬省こうかと頭によぎったけどやめたこと。

 

それは 

息子とジブリのDVDをレンタルしにいく手間

です。

息子はジブリが大好きで、

特定の作品も何週間も連続してレンタルしています。

 

あまりにも何度も同じ作品をレンタルし続けるので

もう買った方が早いんじゃ・・・と思い始めていました。

何度も借りていればそのうちレンタル料金の合計よりも新品のDVD代の方が安くつくだろうし・・・笑

しかもついでにお菓子を買うなんてことも多々。

(毎回おいおい…と思いながらしぶしぶ買っています)

 

私の立場から考えればDVDをレンタルしなければ

家で何度でもDVDを見られるし、

返却機嫌も気にしなくて済む。

おまけにお菓子を買わなくて済む!笑 

それなら買えばいい!と思い、

ネットでDVDを検索。

買い物かごに入れて・・ぽちっとする直前に踏みとどまりました。

 

息子はDVDが手に入ればそれでいいんだろうか?

 

ルフレジでDVDをレンタルする(バーコードを読み取る作業が楽しい様子。)

ついでにお菓子も購入する。笑(こちらは店員さんにお菓子を渡す作業が楽しい様子。)

返却ポストにDVDを入れる

他のDVDを見る

気に入れば借りる

 

DVDをレンタルする過程で

様々な経験が出来ていることに気が付きました。

しかも息子はそれを率先して楽しんでやっている。

 

それを奪ってしまっていいんだろうか?

 

買ってしまえば

いつでも見たいDVDが見られてとても便利。

DVDを買うことによって息子は

レンタルしに行かなくなくて済んで手間を省けて楽になったと感じるか、

借りに行く過程がなくなってしまったと感じるか。

どう思うか?それは息子に聞かないと分からないですが、

残念ながらまだ年齢的に想像が難しい部分があります。

 

DVD1本買ってDVDをレンタルしなくて済んだところで、

きっと息子は文句は言ってこないだろうけど、

自然消滅的に

これまでレンタルしていた過程が消えてしまうのかと思うと、

とてももったいないような気がしました。

社会経験が詰めて、

視野も広がって、新たな作品との出会いもある

ついでに色々なお菓子も試せる。笑

息子にとって、新鮮な経験が詰める場になっているはず。

だから

今後も他のDVDをレンタルしに行けばいいだけのことなのですが、

今引き算すべき項目ではない。と考えています。 

 

 

 

ほんの小さな選択を

とても大げさに取り上げてしまいましたが、笑

自分にとって大切な判断軸を再認識できたと思っています。

 

"手間"を引き算する前に

影響している人が皆不要と思うか?

不要でないと思う人がいても妥協できるか?

引き算することによって失うものは何か?

その失うものは大切か?

その視点を持って引き算していきたいと思いました。

 

自分の利害のみで引き算の対象を判断してはいけない。

そう気づいた出来事でした。

腹が立ったコトの有効活用 イライラは無くせない・無くさなくていい

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先日腹が立つことがありました。

どうしてもそれを外に出して発散したくなったのですが、

起きた事象そのままを外に出すとあまりよくない。。

ただの愚痴だし、すぐ消したくなるような内容。

でも出したい・・・・。

 

その後Twitterにつぶやきました。↓

 

私としては良い形で外に出すことができたと感じています。

 

それは自分の学び、気づきに転化できたから。

↓こんな感じで掘り下げました。

腹が立つ事件が発生!(←イライラ・・・)

⇒なぜイライラしたの?(←だんだん落ち着いてくる 聞いてもらえてる)

 ⇒そこから何が学べる?(←私の学び・経験になった!イライラ消滅!)

 

この掘り下げをすると

イライラしたことは

自分を知るきっかけになったり、

他者との価値観の違いを知ったり

今後に活かせる学びにつながったり

全て自分の気づきにつながる。

 

全て学びへ昇華することができるということに気が付きました。

 

 

ただイライラした事件の愚痴を言っていると

自身の言った言葉からさらに腹が立ってきて、

怒りが何倍にも増幅することがよくあります。

結果イライラした感情だけが自分に残って

疲れるし、もやもやするし、

イライラなんかしたくない!イライラしても良いことない!と思っていました。

 

でもイライラは人間にとっての

当たり前で必要な感情。

なくすことはできないし、

なくしてしまったら、きっと心のバランスがうまく取れなくなります。

 

だからこのイライラした感情は

私のアンテナに引っかかった印と捉えます。

そしてなぜ?と深掘りして

「私はこういうことが嫌だと思うんだ!」

「私はこういう言動はしないでおこう」

「こういう価値観を持つ人が世の中にはいるんだな」

こういう学びに変えると

イライラも悪くないじゃない♪と思えて

スッキリするんですよね。

他にも悲しい、モヤモヤなどもアンテナが立った印なのだと思います。

スッキリ学びに昇華できるとイヤな気持ちが残らずに済みそうですね^^

 

ほんの小さなことでも

「なんだかよく分からないけどイライラする!」

の「なんだかよく分からないけど」を明確にする作業を

繰り返すと、

自分や他者への解像度がぐっと上がって

よりコミュニケーションが楽になるのではと考えています。

 

 

自分が苦手なコミュニケーションがあると分かったら

そういうコミュニケーションが発生しそうな場を回避する。といったような。

 

自分を守る

他者を守る(相手との無駄な摩擦を生まない)ために

とても大事な作業だと感じました。

 

どう見られたい?SNS上の自分のイメージ

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最近たびたび考えていること。

SNS上の自分を他者にどう見られたいか、ということ。

 

 

当初このブログに出会ってもらえる可能性が広がるかなと思い、

あまり考えずに始めたSNS

 

でも次第にタイムラインに流れてくる人たちは

みな有益なことを日々つぶやいている。

かっこいいなぁ。

多くの人に憧れられて、ためになった!と言われていいなぁ・・・。

そんなことを思う自分に気が付いたら

逆に

私は有益なことなんかつぶやけないなぁ。

となんとなく落ち込むことがありました。

 

自分は無能だと自分でレッテルを貼っている気分になるのです。

有益じゃないとここに存在してはいけないという感覚に陥ることがあります。

 

でも

有益なことをいつも教えてくれる、

理想的なキャリア・暮らしを持っている、

スマートな人と思われたいんだっけ?

と自分に問うてみると

・・・そういうわけではない。

もがいたり、

あぁでもないこうでもないと試行錯誤をしている泥臭い自分

等身大な自分しか持っていないし、

身近な存在だと思われたい。というかそういう存在でいたい。

SNSに限らず、仕事でもプライベートでもスタンスは同じです。

顔を使い分けられるほど器用な人間じゃない。

 

手の届かなさそうな、

常に先を行く、

スマートな"私"に

憧れるけど、

なれるか?なりたいか?ずっとそういった存在で居られるか?

と考えると出来ないからなりたくない。

(というか実際の自分と違いすぎて疲れてしまう)

※決して有益なことが言える、

 スマートな方をバカにしたり、

 けなしているわけではありません・・・憧れています!

 

 

他人軸で生きようとしていたのかもしれない

隣の芝が青く見えていたのかもしれない

と気が付きました。

よくやってしまうんですよね。気が付かないうちに。

 

何となく気分が鬱々としていた最近、

なぜなのか?

原因を探って紐解いていくと、

他人の目を気にしていたことに気づくということが往々にしてよくあります。

 

自分はどんな自分で居たいと思っているのか

果たして他人の目はそこまで大事なことなのか。

紐解けば答えは分かっていても、

紐解かずに漠然と向き合っていると

なんだかどうにもならない大きな話のような気がして

いつまでも気持ちがどんよりしてしまいます。

ついでに自分をぐさぐさ傷つけている・・・

 

いつもと様子が違う自分に気が付いたら

自分にどうしたの?と声をかけることが大事だということに

改めて気が付きました。

 

 

保育園に行きたくない!行かないという選択と今後

 

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息子が保育園をお休みしました。

理由は行きたくないから。

体調が悪いわけでもなく、

お友達と揉めたわけでもなく。

ただなんとなく行きたくない気分だったんだと思います。

 

朝行きしぶることは過去にも何度もありました。(というか毎日・・・)

ただ、「"今、この瞬間"は行きたくない!」「もう少しおもちゃで遊びたい!」

という様子で、

しばらくすると自ら靴を履いて保育園へ向かっていました。

 

 

でも今日は何となく様子が違いました。

確固たる気持ちを感じて

私もそこまでして交渉をするべきなのかと考えて

今日は行かないと言う選択を取ることにしました。

もし気持ちが変わって

行きたくなったら遅れて登園すればいい。

だからもし行きたくなったら教えてねと伝えていました。

結果今日はやっぱり行きたくなかったようで

おうちで大好きな映画を見て

大好きなおもちゃで遊んでゆっくり過ごしていました。

それでよかったんだと思います。 

 

こういう日って子供に限らず大人もありますよね。

私にはそういう日が定期的にあります。

そういう日、今はお休みを取ってゆっくりする日があります。

 

hibishikosakugo.hatenablog.jp

 

 でもつい最近までそれができなかった。

心の中のもう1人の自分が猛烈に反対してくるんです。

今日はなんとなく仕事に行きたくない・・・と思う私に、

「甘い!」

「ダラダラするな!」

「仕事に行ってしまえば大丈夫!」

「病気じゃないでしょ?」

そう言ってくるもう一人の私。

結局もう一人の私の言うことに従って

病気以外は基本的に出社していました。

鬱々とした気分でやる仕事に効率なんてものがあるわけがなく、

集中できるわけもなく、

今思うとなぜそこまでして仕事に行っていたのか。

ただ、歯を食いしばって仕事に行く私を何としても守りたかった当時。

周りへ向ける顔が無いと思っていたのかもしれません。

 

なぜ学生の頃からつい最近まで20年ほど、

なんとなく休みたいと思う自分を肯定してやれなかったのか。

 

 

子どもの頃から

熱が出ないと学校を休めないというルールが私の家庭にありました。

その上、私は元々熱があまり出ない丈夫な体質で病欠は少なめだったと思います。

だから「今日はなんとなく学校に行きたくないなぁ」という気分でも

熱が出ていないという理由で学校にはしぶしぶ行っていました。

テスト期間中は熱が出ても座薬を入れて登校していたほど。

それが当たり前だったからみんなそうあるべきだと思っていました。

それが出来ている私は強い。偉い。と思っていました。

 

私の友達には

「なんとなく行きたくない」という理由で定期的に学校休む子がいて、

当時は「甘いなぁ」なんて思っていたのですが

休むことがその友達にとっては

明日から頑張ろうと思える、

今まで積もった何か負債を肩から降ろす作業として必要なことだったんだと思います。

翌日いつも通り登校していたのを覚えています。

 

私はそんな学生時代を過ごして

すっかり休むこと、逃げることが苦手な人間になっていたようです。

そんな私が変わったきっかけ

それはある日、仕事で行き詰って精神的にどうしてもつらかった日、

夫(当時はまだ彼氏)に今の気持ちを話したら

「そんなに辛いんなら休んじゃいなよ」と言ってもらって、

逃げ込むように仕事を休みました。当日の朝に勢いに任せて決めました。

何もせずにただただ寝て過ごしました。

こんな日があっていいのかと衝撃を受けました。

でもあの日逃げ込んだから、

翌日から「休んだしそろそろ仕事に行ってもいいかな~」と思えたことを覚えています。

 

その経験から

毎日辛くても仕事に行くことが大事と思っていたけど、

逃げちゃダメなの?って逆に今は思っています。

逃げて結果的に自分が元気でいられるんだったらそれでいいんじゃないのって。

 

だから私は

今後も息子が保育園や学校に行きたくないって言う日があるなら

別に休んでもいいんじゃないかなって今は思っています。

それに「今日は行きたくない」と言えること、

これも息子の"強さ"なんじゃないかと思っています。

いつまでもそう言える雰囲気を作っておきたいです。

 

家族としては

みんなが健やかな体と心を持って生活できているというのがとても大切なことで

毎日同じように学校や仕事といったルーティンを問題なくこなすことが

家族にとっての1番の目的では無いんですよね。

時にここの1番の目的が見えなくなってしまうことがあります。

毎日元気に通うことが大切!と思いがちです。

皆勤賞狙ってるんだっけ?皆勤賞取ったら何か良いことあるんだっけ?

と当時の自分に言いたいです。笑

 

 

 

やっぱり誰かがこうやって休むことによって

他の家族のリズムに影響があるんですが

でもそれでその家族の誰かが心のバランスをちゃんと取り戻せるんだったら

やっぱり必要なことだと思っています。それでいいのかなと。

 

ただ現実的なことを考えると、

持続可能な運営を考えていかなきゃいけないとも思っています。

今後も行きたくなくなって休んだとき

どんな過ごし方がいいのか。

もしかしたら連日休みたいと息子が思う日も来るかもしれない。

例えば不登校

 

そうなったら私や夫の仕事はどうするのか?

息子は休み中どう過ごすのか?

 

今後は考えていく必要がありそうです。

 

 

スマホやタブレットでレシピを見ながら料理したい!おすすめスタンド

 

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料理をするときに

スマホタブレットでレシピを見ますか?

 

私はレシピを見ないと料理できないので

必ずレシピを見ます。

見るレシピは本ではなく、スマホに貯めておいたレシピを。

 

多くのレシピサイトやSNSから集めてきたレシピを

一括管理してそこから見ています。

レシピ管理の方法はこちらから↓

hibishikosakugo.hatenablog.jp

 

レシピを見るときにいつも感じていた悩みがありました。

 

それは

スタンドが無い!と探す時間。

それからスマホを調理台に直接置いて、

水をこぼして濡れそうになった!というヒヤヒヤした経験。

それから、調理中は食材、調味料、調理器具・・・と

置くものが多い調理台にスマホやスタンドを置くと邪魔・・・。

 

しかもスタンドといっても

こんな感じのものを使っていて、

目の高さと全然合わない・・・。

調理台に立って調理台に置いてあるスマホスタンドを見ると

必然的に首を下に傾けないといけないんですよね・・・。

 

 

これも持っていますが、

何せ大きい・・・

狭い調理台で場所を取ります。。

 

 

 

そこで解決策として導入したのがこれです↓

 

 

 

本来はお風呂用なのですが、

キッチンの壁がマグネットの家庭は使えます^^

iPadをスタンドで挟むとこんな感じ↓

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マグネットが付く壁があれば位置は自由自在なので

目の高さに合わせてタブレットを配置することができます。

ちなみに私のスマホケースの裏面には

スマホリングがついていますが

それでも挟むことができました。

スマホの場合は対角線で挟むと良さそうです。

 

使わないときは

こんな感じでキッチンの壁の端に小さく寄せておくことができます。

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これのおかげで

首を下に傾けてレシピを見る必要がなく、

調理台の底面積を占有することもない!調理台は広々!

常にキッチンに貼り付けておけばいいので

スタンドを探す手間もなし!

 

ちなみにお風呂用に同じものを使っていますが

こちらも便利!

貴重な1人バスタイム

ゆっくり映画やYouTubeを見るときに目の高さに合わせて

お風呂の壁に貼り付けて動画を楽しんでいます。

(スマホは防水ケースに入れています)

 

たった2つのマグネット

でもやってくれる効果は絶大。

プチストレスがまた1つ、(もっと?)解消できました^^

同じ境遇の方がもしいれば

ぜひシェアしたかった便利グッズ!でした!

 

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